大海人皇子 〈3〉
2010年11月 6日
どんなに民衆から期待され、どんなにすばらしいスローガンを新政権が掲げようとも、その政権にも必ずいつかほころびが出る。基本的に政治というものは、あくまで最大多数の最大幸福を理念としている。私見ではあるが、中世や近世では上に立つ者の搾取的な発想が色濃いが、少なくとも古代とりわけ改新政治には最大幸福というような感覚はあったのだと思いたい。よって、あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず、そう矛盾が発生する。オールOKなどあり得ず、その恩恵からこぼれ落ちる者が現れるのは、至極当然のことなのである。
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大化の改新政治が進められていく中でも、さまざまな矛盾、事件が起こる。
孝徳天皇と中大兄皇子の対立、官職にありつけなかった豪族たちの不満、土木工事の労役を嫌がる農民たちの不平などなど。
得てして、内政不安を感ずるとき、民衆の注意を国外に向けさせて国内における動揺を回避しようとするのが為政者の常套手段である。今の外交下手の日本を思えば、諸外国の為政者にとって、日本ほど格好のカモはいないかもしれない。
それは余談だが、中大兄皇子もこの手段を使っている。蝦夷(えぞ)の征討と白村江(はくすいのえ)の戦いである。蝦夷は、東北から北海道にかけての地域。白村江の戦いは、百済(くだら)の要請に応じて、朝鮮出兵に出るも、唐・新羅の水軍に大敗した戦いである。
「事件」といえば、やはりこれが有名。
時の絶対的権力者、中大兄皇子にとって、もはや怖い敵などいない。いないに違いない。いや、待てよ。"あいつ"は・・・。"あいつ"が怖いわけではない。しかし、不平・不満をもつ豪族と農民たちが"あいつ"を担ぎ上げたら、ちと厄介なことになる。
思えば、自分自身がクーデターを起こしたのが19歳の時。ちょうど、"あいつ"もその19歳になるではないか。
「今のうちに"あいつ"を・・・。」
"あいつ"とは、いったい誰かおわかりだろうか?
昨日、お話しした中大兄皇子の従兄弟、有間皇子である。
時に、658年11月3日、ひとりの男が有間皇子を訪ねてくる。畏れ多くも、斉明天皇と中大兄皇子の失政をののしり、有間皇子に謀反の企てをけしかけるのである。その男の名は、蘇我赤兄(そがのあかえ)。
まんざら、その気がないわけではなかった有間皇子。おだてられ、迂闊にもその話にホイホイと乗ってしまうのである...。
話が長くなりそうなので、今日のところはこれで止(よ)す。続きは、大海人皇子〈4〉でね...。
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