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部長のブログ

大海人皇子 〈4〉

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2010年11月 7日

 蘇我赤兄にそそのかされて、その気になった有間皇子。赤兄、他数名とともに謀反の密議に入った。中大兄皇子の留守を良いことに、である。この時、中大兄皇子は大海人皇子らとともに、斉明天皇の行幸にお供していたのである。どこへ行ったか。和歌山県の白浜あたり、牟婁(むろ)の温泉である。そこに長期の湯治(とうじ)に出かけていたのである。
 白浜、湯崎あたりは硫黄泉の出る名湯場。私もこのあたりの温泉に詳しいが、足し湯をするほど客の来ない、ひなびた旅館の源泉なんて、指紋がなくなるのではないかと感じるくらいに、ヌルヌル感のある軟水である。

松林.jpg
 密議を終えて帰宅した夜半のこと。謀反の罪で、館を囲まれ、囚われの身となった有間皇子。捕らえたのは、誰あろう蘇我赤兄。まんまと赤兄の謀略にひっかかってしまうのである。
 思えば、赤兄は中大兄皇子の側近中の側近。しかも、長期不在の留守役を仰せつかっているほどの信任ぶりである。そんな赤兄に心を許したのも、若さゆえであろうか。己の不覚を悔やんだに違いない。

 すぐさま、牟婁の温泉地にいる斉明天皇と中大兄皇子のもとへ、「有間皇子謀反」の伝令が飛ぶ。続いて、囚人・有間皇子の護送が始まる。牟婁の湯への出発である。
 飛鳥から白浜というと、優に百数十キロはあるだろう。今なら、高速を飛ばせば3時間とかからないかもしれないが、昔のこと、歩行である。その距離を3日で到着したのである。
 私は毎夏、白浜へ出かけるが、高速道路ができて速くなったとはいえ、車で走っていても、その距離の長さを実感するのに、歩行でと考えただけで気が遠くなる。

 道中、磐代(いわしろ)で夜を明かしたときの、有間皇子の作歌が『万葉集』に収録されている。

1)磐代の 浜松が枝(え)を 引き結び ま幸(さき)くあらば また還り見む

2)家にあれば 笥に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

 万葉集の歌らしく、直接的で解読しやすい歌で、あまりに有名な二首ではあるが、少しだけ解説を。

1)ひょっとしたら中大兄皇子が許してくれるかも、そんな一縷の望みを託しての松結び。「ま幸くあらば」は、「無事であったならば」の意。
 今は、「岩代」と書き、国道42号線を白浜方面に向かって走ると、梅で有名な南部の手前に岩代の交差点がある。私は子どもの頃から、この道はよく通っているのでなじみが深い。
 そういえば、今夏、国道42号線沿いにあり、私が子どもの頃からある「水平線」という喫茶店で昼食をとったときのこと、そこの大将が、このあたり一帯の松林が台風で海水をかぶって枯れかけていると、嘆いていたことを思い出す。

2)食事は、家に居るときは器にもってするものを、旅先ゆえに椎(しい)の葉っぱに盛って食べる切なさを歌っている。「草枕」は旅の枕詞(まくらことば)。
 なお、有間皇子の食事と解さない説もある。地元の神様にお供えするご飯を、家なら器で捧げるものを、旅の途中ゆえに椎の葉ですることの無礼をお許し下さい、という解釈である。
 神頼みである1)の歌との相関からすれば、後の解釈の方も捨てきれない。また、この解釈の方が、よりいっそうの哀愁を漂わせるものと、私は思う。


 話が長くなりそうなので、今日のところはこれで止(よ)す。続きは、大海人皇子〈5〉でね...。


※当初、私はこの「大海人皇子」のお話を考えた時、3話くらいで簡潔に述べるつもりであった。しかし、書きだしたら、止まらなくなってしまった。
 というのも、私が歴史上において好きな時代であること、中大兄皇子の関連事項があまりに豊富であること、今日の話の和歌山県や『万葉集』は、私のど真ん中、ストライクゾーンであることなどが挙げられる。
 よって、タイトルになっている大海人皇子に話が及ぶまでの道のりが長くなっているので、だいぶんシリーズが長期化することが予想される。次に続く「大海人皇子〈5〉」以降は、また折を見て改めて...。  


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プロフィール
(株)タカラコスモス部長
古澤陽一
昭和41年11月、大阪市大正区で3姉弟の末っ子長男として生まれる。大阪市大正区の市立小・中学校を卒業。中学時代は『金八先生』が流行った校内暴力全盛時。
大阪府立大手前高校では、硬式野球部に所属。後、京都に憧れ、立命館大学法学部に学ぶ。ゼミでは、「クレジット・サラ金問題」を専攻。
卒業後、大阪市北区西天満の吉澤司法書士事務所に入所。3年間の勤務の後、株式会社タカラコスモスに入社、現在に至る。
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