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部長のブログ

飛梅伝説 【その2】

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2011年2月26日

 今日は、昨日の「飛梅伝説【その1】」からの続き。

 平安時代に入ると、藤原氏は着々とその勢力を伸ばしてきた。中でも、藤原冬嗣(ふゆつぐ)に始まる藤原北家の勢いは目を見張るものがあった。歴史上の有名どころが勢揃い。
 「この世をばわが世とぞおもふ」と歌って栄耀栄華を極めた藤原道長、その父で大入道殿と呼ばれた藤原兼家、その祖父にあたる藤原忠平に、その兄藤原時平などなど。ほとんどが皇室の外戚(がいせき)として摂政・関白などの要職に就いている。

菅原道真.jpg
 藤原忠平の父で、関白であった藤原基経が亡くなると、宇多天皇は関白を置かずに菅原道真を蔵人頭(くろうどのとう)に任じて、藤原氏を牽制しようとした。次いで、醍醐天皇もまた、藤原時平を左大臣、菅原道真を右大臣とし、摂関政治からの離脱を図って天皇親政を行おうとした。そうなると、藤原氏にとって唯一邪魔な存在が、藤原一門ではなく、学者でもあり、諸芸にすぐれ、その実力のみで異例の立身出世を果たした政治家、菅原道真その人だったのである。

 そこで、藤原時平らは道真の失脚を画策、醍醐天皇への讒言(ざんげん)によって道真は大宰府に流された。従二位右大臣から大宰権帥(だざいごんのそち)への左遷である。
 京の都を去るときに道真が詠んだのがこの歌なのである。

 東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

 また、「匂いおこせよ」と言って、道真がこよなく愛した梅の木が主である道真を慕うあまり、一夜にして京から大宰府に飛んでやってきて、その屋敷に根付いたというお話が「飛梅伝説」なのである。
 現在も、太宰府天満宮には、その飛び梅が御神木として花を咲かせている。

 菅原道真は、大宰府に赴任してわずか2年でこの世を去っている。延喜3年2月25日(西暦903年3月26日)のことである。
 さぞかし無念であったろう。悔恨の情は察するに余りある。その怨念ゆえか、道真没後に京の都では奇怪な事件、異変が相次ぐのである。


 そのあたりのお話は、明日の「飛梅伝説【その3】」でね...。

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プロフィール
(株)タカラコスモス部長
古澤陽一
昭和41年11月、大阪市大正区で3姉弟の末っ子長男として生まれる。大阪市大正区の市立小・中学校を卒業。中学時代は『金八先生』が流行った校内暴力全盛時。
大阪府立大手前高校では、硬式野球部に所属。後、京都に憧れ、立命館大学法学部に学ぶ。ゼミでは、「クレジット・サラ金問題」を専攻。
卒業後、大阪市北区西天満の吉澤司法書士事務所に入所。3年間の勤務の後、株式会社タカラコスモスに入社、現在に至る。
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