大海人皇子 〈7〉
2011年4月24日
今日は、昨日の「大海人皇子〈6〉」からの続き。
1)あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
「あかねさす」は紫に係る枕詞。「紫野」は紫草の生えている野。「標野」は「しめの」と読み、一般人立ち入り禁止の野のこと。標(しめ)とは、棒や縄などで立ち入りを禁ずるしるし。ここでは、紫野=標野で、ことばを変えただけ。VIPだけが入れるところなので、野守(のもり)すなわち番人を置いている。「袖振る」は合図をすることで、「君」はもちろん大海人を指す。野守は暗に天智天皇を指すという解釈もあり。
妖艶な情を含むも、優美であり、気品溢れる一首である。また、「紫野」「標野」「野守」「袖振る」と、その場面ごとの情景をパッパッと想像させる、いわばテレビや映画のカット割りのような手法を使っており、極めて視覚的な歌であると、私は思う。
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2)紫の 匂へる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも
「紫の匂へる妹」は、紫草のように匂いやかなあなた、ということ。1)の歌に使われた紫野に対して、こちらも紫でもって返しており、これは相聞歌における答歌の常套法である。「妹」は「いも」と読み、男性から見て妻、恋人、姉妹などを呼ぶときに使うことば。「恋ひめやも」は品詞分解すると、こうなる。「恋ひ」は上二段活用動詞「恋ふ」の未然形、「め」は推量の助動詞「む」の已然形。「や」、「も」はともに助詞で反語を表す。「めやも」の用法は、以前に書いた『子にしかめやも』の記事で触れたのでご参照。
通釈しよう。あなたのことが憎かったなら、もう他人の妻になっている今、どうして私が恋しく思って袖など振りましょうや。恋しいからこそ、するのですよ。
歌の調べは、直接的で力強く、男性的。大海人皇子の気性が伺える一首である。
さて、この相聞歌がどういう場で詠まれたか。蒲生野での薬狩りの後の宴席であるというのが通説である。これは誰も異論がないだろう。そして、これが天智天皇、大海人皇子、額田女王の三角関係だと解釈し、この三角関係こそが後に起こる大乱の遠因になったのだという説が、かなり以前は有力であった。が、近年においては、これは宴会の場を盛り上げるための座興に過ぎない、との見方をする説の方が主流となっている。
というのも、大海人と額田のふたりだけの秘め事が、なぜ『万葉集』に掲載され、後世に残ったかという疑問がこれで消えるというのが一つ。それに、既に四十がらみの男女が今さら愛だの恋だのというのは変だし、二首にはどことなく遊び心が見え隠れしているという理由を挙げている。
私もこの考えに同調。たった一人の女性をめぐって、しかも四十がらみと来れば、なおのこと。そんなに天智天皇も大海人も女性には事欠かない。若い妃は何人もはべっているのだし。なんて言ったら、世のアラフォー女性から反感を買いそうだが、よく考えて頂きたい。古代王朝のナンバー1とナンバー2なのである。
なお、額田女王は天智天皇の妃の一人として数えられてはいるが、実のところは宮廷における神事、祭事、宴などで活躍する、いわばエンターテイナーのような特殊な存在であったのではなかろうか。だからこそ、昔の恋人との歌のやりとりを祝宴において披露しても、何のおかまいも無しなのだ。
また、単なる妃としてではなく、ある意味自由行動を許された額田であればこそ、あれだけ高い教養と自由奔放な作風が詠む歌に現れているのだ。そのように、お偉い歴史学者は推測をしている。
話が長くなりそうなので、今日のところはこれで止(よ)す。続きは、明日の「大海人皇子〈8〉」でね...。
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