兵法 『孫子』 【パート6】
2011年9月 3日
このシリーズ、かなり久しぶり。今日は、【パート5】からの続き。
夫未戦而廟算勝者、得算多也、夫未戦而廟算不勝者、得算少也、多算勝、少算不勝、而況於無算乎、吾以此観之、勝負見矣
書き下してみよう。
夫(そ)れ未だ戦わずして廟算して勝つは、算を得ること多ければなり。未だ戦わずして廟算して勝たざるは、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而(しか)るを況(いわん)や算なきに於(お)いてをや。吾(われ)此(こ)れを以て之(これ)を観るに、勝負見(あら)わる。
「廟算(びょうさん)」の「廟」とは、祖先の霊を祭る所で、霊屋(おたまや)のこと。ふつう、宗廟(そうびょう)という言い方をする。古(いにしえ)においては、宗廟で勝敗を目算したり、軍議を行うのが習わしであった。
通釈してみよう。
そもそも、戦いの前に廟算して勝つというのは、(五事七計を推し測ったところ)その勝算が多いからである。勝算が多ければ勝ち、勝算が少なければ勝てない。まして、勝算が全くないというのでは、負けは決定的である。私(著者である孫武)は、この五事七計を廟算して戦力を観察することにより、戦わずして勝負の行方を知るのである。
すこぶる当たり前のことを書いているように思われるが、これがなかなかできない。計算に弱く、読みが甘かったことにより、日本が太平洋戦争で惨敗したことは史実である。竹槍でもって、戦闘機に立ち向かうがごとき玉砕戦法は、まさに愚策以外の何ものでもない。
目算で不利と見れば、一旦は後に退き、戦力を整え直して次のチャンスを待つ。
これ、政治のみならず、ありとあらゆるビジネスシーンで必要な心掛けではなかろうか...。
以上、これで 『兵法』の「始計篇」は終わり。よって、次に【パート1】~【パート5】をリンクで貼り付けておくので、通読したい方はクリックして下さい。
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