「プラザ合意」と「エクイティ・ファイナンス」と「土地神話」 【パート6】
[ ジャンル:政治・経済 ]
2012年3月12日
今日は【パート1】 【パート2】 【パート3】 【パート4】 【パート5】からの続き。
さて、最後の「土地神話」について。土地神話ということばを誰が、いつ頃から使い始めたのか、私は知らない。誰しも、漠然とだが、その意味するところは頭に浮かぶことだろう。不動産、とりわけ土地の価格は上がり続けるのだ、という感じ。私流に言うと、土地神話とは次のようなイメージかな。
古来、土地はあった。日本国民は土地を所有したくても、できない時代もあった。が、今の世に土地所有を禁ずる法はない。だから、誰でもその気になれば、土地を所有できるのだ。まあ、農地のことはさておき・・・。
戦後、地価は上昇一本調子で推移した。まるで、日本経済の発展と歩調を合わせるかのように。だから、土地には価値が認められた。それは、とりもなおさず融資における担保力となった。けれど、その担保力を見誤った時代があった。
この場所で、この大きさで、間口がこの長さで・・・、などという査定は二の次。とにかく、土地と名が付けばよい。どんな土地でも土地は土地。土地には必ず価値がある。放っておいても、自然とその価値は増すのだ。
マネーは必ず行き場を探す。ひとり、たそがれてはいないのだ。行き着く先は常に、わが身を増殖させてくれるところ。水は高きから低きに流れるのが道理。が、マネーは利の低きから高きへと逆流する。
株も儲かるが、土地も儲かる。そういう考え方が当たり前になった背景には銀行による煽りがあったことは事実だろう。
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1986年10月、住友銀行が平和相互銀行を吸収合併した。表向きは救済合併だが、住友は口からよだれが出るほどに、平和相互にうまみを感じていた。平和相互が6,000億円という巨額の不良債権を抱えていたにもかかわらず。
当時の都銀で、東京発は富士、三菱、第一勧業、それに、さくら。住友、三和は大阪発で田舎者扱い。よって、首都圏進出と店舗網の拡充は住友の悲願であった。そこに平和相互破綻の話が舞い込んだわけ。合併の結果、住友は首都圏において279店舗を獲得。磯田会長が飛ばした「向こう傷を恐れるな!」の檄(げき)のもと、1988年には利益業界ナンバー1に輝くのである。
" 土地さえあったら、ナンボでも貸しまっせ。 "
このままでは、住友行員の強力部隊に顧客を食い荒らされる。他の都銀も住友にならえ。信託銀も前にならえ。地銀、第二地銀も遅ればせながらついて行った。信金、信組はキョロキョロ横を眺めながら、おいてけ堀だけはゴメンこうむろうと発進した。
まあ、こんな調子で金余り時代のマネーたちは土地にも向かったわけ。
さあ、これでこの連載も終わりとしようか。
と思ったが、何となく全体を締めくくっていないようで気持ちが悪いので、締めを休み明けに...。
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