関ヶ原の群像 【パート6】
[ ジャンル:歴史上の人物 ]
2013年2月11日
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さて、『直江状』とは、どんな書簡であったのか。その前に、これが直江兼続によって記された経緯を述べよう。
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先ず、家康は上杉に対して上洛を促すべく使者を送った。けれども、上杉はその求めに応じようとしない。そこで、家康は兼続と深交のあった西笑承兌(さいしょうしょうたい)に手紙を書かせた。西笑承兌は、秀吉や家康の政治顧問を務めた相国寺の長老である。承兌からの書状に対しての返書が『直江状』なのである。
承兌が家康の命を受けていることを兼続は承知、よって兼続から承兌に向けて書いているというよりは、景勝から家康に宛てた手紙の形式となっている。文末は基本的に「候事」で締め、丁寧な言葉遣いをしているように見受けられるが、その内容は家康への反論と批判、挑戦であった。15項目に列記されているが、その概略を次に記してみよう。
「 上洛せよとのことであるが、一昨年に越後から会津へ移封を命じられたばかりの折に太閤殿下弔問に上洛し、ようやく昨年9月に帰国したばかりだ。そしてまた、この正月に上洛したのでは、いったいいつ国の政務を行ったらよいのか。
武器などを集めるのが悪いと言うが、上方武士なら茶碗や瓢(ひさご)、炭取りなどの茶道具を集めることだろうが、田舎武士は槍や鉄砲、弓矢などの武具を集めるのが趣味で、風俗文化の違いにすぎない。
道路や橋の築造をとがめているようだが、本当に謀反を考えているのなら、敵が通る道をふさぐものである。
讒言(ざんげん)をする者の口上ばかりを鵜呑みにし、よく調査もしないうちにあれこれ当方に注文をつけるのは一方的にすぎるのではないか。
反逆の心がないのなら起請文(きしょうもん)を差し出せと言うが、一昨年来いったいどれほどの誓紙が交わされ、またどれだけ反故にされていることであろうか(家康殿、あなたがいちばん反故にしているではないか)。
逆心の意これなく、再三そう申し上げているにもかかわらず、その意なき証として上洛せよというのでは、まるで乳呑み子扱いではないか。
昨日まで反逆を企てた者であっても、今日は知らぬ顔で上洛しさえすればお咎めなく、ご褒美がもらえるという、恥知らぬ当世風はこの景勝の性格には合わないのだ。
前田殿のことは家康殿のご威光よろしく、思いのままになったことよ。 」
この言い分がわかってもらえなければ決戦も辞さない、と直接的に表現しないまでも、その気が無類の戦争好きと評された上杉景勝と、直江兼続にあったことは測るに十分である。
この書状を目にし、生まれてこの方こんな無礼な手紙をもらったことがないと言って激怒した家康は、ついに会津出兵の大号令を発したのである。
長くなりそうなので、今日のところはこれで"止(よ)す。この続きは、また気が向いた時に...。
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