このシリーズ、またまた3ヶ月ぶり。今日は、【パート4】からの続き。
兵は詭道なり。故に、能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓(みだ)し、卑にしてこれを驕(おご)らせ、佚(いつ)にしてこれを労し、親にしてこれを離す。
其(そ)の無備を攻めその不意に出ず。此(こ)れ兵家の勝にして、先に伝うべからざるなり。
2011年1月20日
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「矢」という言葉は、いろいろな慣用句になったりして、なかなかおもしろい。
5つほど、拾い上げてみた。
「矢の催促」「矢も楯もたまらない」「矢面(やおもて)に立つ」「矢庭に」「矢継ぎ早」。
2010年12月17日
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蘇我赤兄にそそのかされて、その気になった有間皇子。赤兄、他数名とともに謀反の密議に入った。中大兄皇子の留守を良いことに、である。この時、中大兄皇子は大海人皇子らとともに、斉明天皇の行幸にお供していたのである。どこへ行ったか。和歌山県の白浜あたり、牟婁(むろ)の温泉である。そこに長期の湯治(とうじ)に出かけていたのである。
白浜、湯崎あたりは硫黄泉の出る名湯場。私もこのあたりの温泉に詳しいが、足し湯をするほど客の来ない、ひなびた旅館の源泉なんて、指紋がなくなるのではないかと感じるくらいに、ヌルヌル感のある軟水である。
2010年11月 7日
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どんなに民衆から期待され、どんなにすばらしいスローガンを新政権が掲げようとも、その政権にも必ずいつかほころびが出る。基本的に政治というものは、あくまで最大多数の最大幸福を理念としている。私見ではあるが、中世や近世では上に立つ者の搾取的な発想が色濃いが、少なくとも古代とりわけ改新政治には最大幸福というような感覚はあったのだと思いたい。よって、あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず、そう矛盾が発生する。オールOKなどあり得ず、その恩恵からこぼれ落ちる者が現れるのは、至極当然のことなのである。
2010年11月 6日
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改新に伴って、中大兄皇子の母である皇極天皇は、孝徳天皇に譲位したのだが、後に中大兄皇子と孝徳天皇には不和が生じ、実権を握る中大兄皇子は、653年に天皇の反対を押し切って、難波から百官をを従えて飛鳥に戻ることとなる。
天皇はひとり難波に残り、孤独に死すのである。この孝徳天皇の死後、中大兄皇子の母である皇極天皇が再び斉明天皇となるのだが、一旦退位した天皇が再び即位することを「重祚(ちょうそ)」という。「祚」という字は、「位」の意である。日本では現在まで二人だけ。皇極天皇が斉明天皇、孝謙天皇が称徳天皇になった二例しかない。
2010年11月 5日
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「大海人皇子」、何と読むか。もちろん「たいかいじん」ではなく、「おおあま」。全体的には、「おおあまのおうじ」とか「おおあまのみこ」。673年に即位して「天武天皇」になった人である。
天皇というと、どうも雲の上のさらにその上の存在のような感じがするのだが、この天武天皇、私の中では、なにやら人間くささのする天皇の一人である。
天皇になるべくしてなった、当然のようになったのではなく、天皇の座を奪い取った人なのである。
2010年11月 4日
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今日は、「兵法『孫子 【パート1】 【パート2】 【パート3】 」からの続き。.
このシリーズも、なんか久しぶり。【パート3】を書いてから3ヶ月が経つ。今日は、その続き。
将聴吾計、用之必勝、留之、将不聴吾計、用之必敗、去之、計利以聴、乃為之勢、以佐其外、勢者因利而制権也
この件(くだり)は、初めの「将」という字をどのように解釈するかによって、前半部分の書き下し文と文意が、次の2通りに分かれる。
2010年10月21日
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