『「である」ことと「する」こと』は、大阪生まれの政治学者である丸山眞男(1914年3月22日 - 1996年8月15日)の著で1961年に刊行された『日本の思想』の一節である。有名な文章で、その発想や論点、批評は今日においても色褪せない。私ごときが、その内容を抜粋すると失礼なので、敢えて原文のまま掲載する。
今回は【パート3】、「業績本位という意味」は飛ばして、「日本の急激な『近代化』」をご紹介する。
日本の急激な「近代化」
世の中にむつかしきことをする人を貴き人といひ、やすきことをする人を賤しき人といふなり。本を読み、物事を考へて、世間のために役に立つことをするはむつかしきことなり。されば人の貴きと賤しきの区別は、ただその人のする仕事のむつかしきとやすきによるものゆゑ、いま、大名・公卿・さむらひなどとて、馬に乗りたり、大小を差したり、形はりつぱに見えても、その腹の中はあきだるのやうにがらあきにて・・・・・ぽかりぽかりと日を送るものはたいそう世間に多し。なんと、こんな人を見て貴き人だの身分の重き人だのいふはずはあるまじ。ただこの人たちは先祖代々から持ち伝へたお金やお米があるゆゑ、あのやうにりつぱにしてゐるばかりにて、その正味は賤しき人なり。
これは、福沢諭吉が維新のころ、幼児のために書き与へた『日々のをしえ』の一節であります。
ここには、家柄や資産などの「である」価値から「する」価値へという、価値規準の歴史的な変革の意味が、このような素朴な表現の端にもあざやかに浮き彫りにされております。近代日本のダイナミックな「躍進」の背景には、確かにこうした「する」価値への転換が作用していたことは疑いないことです。けれども同時に、日本の近代の「宿命的」な混乱は、一方で「する」価値が猛烈な勢いで浸透しながら、他方では強靱に「である」価値が根を張り、そのうえ、「する」原理をたてまえとする組織が、しばしば「である」社会のモラルによってセメント化されてきたところに発しているわけなのです。以上
なお、この文章の前段、「業績本位という意味」の中では、次のように記されている。
アメリカ映画などで、勤務時間が終わった瞬間に、社長と社員あるいはタイピストとの命令服従関係が、普通の市民関係に一変する光景がしばしば見られますが、これも、「『する』こと」に基づく上下関係からすれば、当然の事理にすぎないのです。もし日本で、必ずしもこういう関係が成立していないとするならば、-仕事以外の娯楽や家庭の交際にまで会社の「間柄」がつきまとうとするならば、-職能関係がそれだけ「身分」的になっているわけだといえましょう。
仕事が終われば、ただの一般市民どうしの関係。いかにもアメリカっぽいね。日本では、なかなかそうはいかない。仕事では敬語で話しているのに、チャイムが鳴るや、いきなりため口になったらマンガだね。良くも悪くも、こういう日本らしさは残したいものである。
ところで、近年の総理大臣。安倍→ 福田→ 麻生→鳩山。なんとなくお父様やお祖父様のように1回でも総理大臣で「ある」ことだけに価値があって、「する」ことに価値を見いだしにくい。
「である」ことではなく、「する」ことといえば、総理のイスに「座る」ということくらいか。いやはや、世界的に見れば、「日本の恥」以外のなにものでもない。
長州出身、世襲でない管さんには、ぜひともド根性を見せてもらいたいものである...。
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2010年6月 7日


