兵法 『孫子』 【パート1】【パート2】【パート3】【パート4】【パート5】【パート6】←←←リンクをクリックすると、過去の記事が読める。
前回の【パート6】までで「始計篇」が終了したので、次は「作戦篇」に移る。
孫子曰く、凡そ用兵の法は、馳車千駟(ちしゃせんし)、革車千乗(かくしゃせんじょう)、帯甲十万(たいこうじゅうまん)、千里にして糧を饋(おく)るときは、則ち内外の費、賓客の用、膠漆(こうしつ)の材、車甲の奉、日に千金を費やして、然る後十万の師挙がる。
その戦いを用(おこ)なうや、久しければ則ち兵を鈍らせ、鋭を挫(くじ)く。城を攻むれば、則ち力屈(つ)き、久しく師を暴(さら)さば、則ち國用足らず。
夫(そ)れ兵を鈍らせ、鋭を挫き、力屈くし、貨を殫(つ)くさば、則ち諸侯、其の弊に乗じて起こる。智者ありと雖(いえど)も、其の後を善くすること能(あた)わず。
故に兵は拙速なるを聞くも、未だ巧久なるを睹(み)ざるなり。夫れ兵久しくして国の利する者は未だこれ有らざるなり。故に尽(ことごと)く用兵の害を知らざれば、則ち尽く用兵の利を知ること能わざるなり。
要約すると、こう。
2012年2月10日
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「神の見えざる手」、これ、経済学の分野ではかなり有名なことばである。英国人で「経済学の父」とよばれたアダムー=スミス(Adam Smith)が書いた『国富論(諸国民の富)』という著書の中に登場する。
2012年2月 6日
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今日は、『大海人皇子〈10〉』からの続き。
大海人皇子 〈1〉 〈2〉 〈3〉 〈4〉 〈5〉 〈6〉 〈7〉 〈8〉 〈9〉 〈10〉
天智天皇には3人の皇子がいた。その最年長が大友皇子。天智即位の年には21歳である。この皇子が皇位を継承するに足りぬ人物ならば、父の天智もあきらめがついたかもしれない。けれど、歴史上の文献は、この皇子をひとかどの人物だと評している。この子なら皇位を譲っても構わない。いや、譲りたい。こういった感情は日を追って増していく。
2011年12月16日
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今日は、『大海人皇子〈9〉』からの続き。
大海人皇子 〈1〉 〈2〉 〈3〉 〈4〉 〈5〉 〈6〉 〈7〉 〈8〉 〈9〉
トライアングルのバランスはついに崩れた。近江政権ナンバー3で、老練な策士、中臣鎌足の死によってである。鎌足の策士ぶりはこんなところにも伺える。鎌足はクモの巣を張るように政略的婚姻関係を結んでいたのである。
2011年12月15日
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これも書こう書こうと考えながら、思うほどに筆が進まないシリーズだ。だって、かなりのパワーを出さないと書けないから。仕事が忙しい中、なかなか集中して打ち込めないのである。
ここで、過去の記事を再度振り返ってみたい。はっきり言って私自身、話の流れを思い出さないと書けないのである。
2011年12月13日
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